昭和49年08月01日 朝の御理解
御理解 第16節
「無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。」
今の合楽の信心の進め方にピッタリの御理解だと思いますね。いうなら仏教でいう無常観ね、とうの人間の生きる力ではいけない事が沢山ある。仕方がないもうそれは黙って受けるよりほかに手はないというわけですね。例えば病気とか、貧乏の苦しみとか、又は死とかというものはどうにもできないものだと、そのどうにも出来ないものを無常の風と私共は表現しておる訳なんです。
ところが金光大神の道はどうにも出来んのではなくて、どうにでもなるんだとね、無常の風がそこまで吹いてきておってもね、それをいうならば押し倒すとの出来る程しの力を持っておるという信心ですね、この方の道は無常の風が時を嫌うとか、時を嫌わせるだけの、まあ道だと言われるいうならば、助からんものでも助かる、どうにもできない問題でも解決のおかげになる。そういう御教えなんですから今の合楽にピッタリ。
昨日は夏期修行が終わらせて頂いて、御礼会の後に久富勇さんの所の奥さんのお里に伊藤さん、奥さんの兄さんに当たられる方が亡くなられて満五年に亡くなられたといて来た。そしたら急にね、それでおれの式年祭をしてくれといふうでございましたから、昨日おかげを頂きました。兄弟、子供さん達みんな集まっての祭りでした。私は驚きました事は、前日は私の方のババの35年の式年、でババの式年を通して合楽に関係のある御霊様達ぜんぶに、いわば合楽宣言と申しましょうかね。特に最近みなさんに毎日聞いて頂いておるのは、もうまあいわば合楽宣言の内容を聞いて頂いておるのです。
その一つ手前の所に極楽というのがある、極楽の先に合楽がある、極楽と言うのは、昨日、久富正義先生が発表いたしておりましたように、私の方ではおかげを頂いて、商売事業も繁盛した、お金に不自由どもするようなことはありません、おかげで家庭がみんな健康で、いっそろうて御用がでけております、家庭も円満であります。おかげで人から非難を受けるような事もなし、ね。という事は争いのないという意味合い、いうならば、合楽の信心者全部の信奉者の中、信奉者がです。
こぞって貧乏のない世界、争いのない世界、病気のない世界にね、住まわせて頂くんだ、いや、住まわせて頂いておるんだという宣言なのです。だからそこまでは極楽です、それを極楽と自覚しきっていないところにですね、いうならば、こう言うおかげを頂いておるという自覚をできてないところに、例えば、正義先生のことで言うならば、家内、子供達が信心についてこない、ただ、ようやく正義先生がそこに熱心に信心しておるだけなんです。それは、ただ極楽に安住しておるからです。
いや安住ならまだよいけれども、まだ頂き足らんごたる不平不足があるぐらいじゃないでしょうかね家族の者が。それではいくら極楽というておっても、極楽が極楽じゃならん、ね、そこで、正義先生の信心にもう一つ合楽を現すという生き方になれる、世界の将来を思うてみる、人間の本当の意味においての行く手というものをはっきり定めろと、私は最後にそのことについてそんなふうに申しましたね。
合楽と言う事は先ず自分の心に自分の家庭に合楽を現す、いわゆる極楽を現したら、それをです、自分の周囲に広げていこう、宣伝をしていこうというのが合楽なのです。自分だけの一家が極楽にいっとるのじゃなくて、自分の知っておる限り、関係のある者が全部極楽に行かなければならない、そして、合楽になっていかなければならない。神様も喜んでくださる、私共も喜べる世界を顕現していかなければならない。
今こそですね、世界の難儀に取り組んでそういうおかげを事実の空論じゃつまらん、実際に助かっていかなければならない、世の中から貧乏をなくさなければいけない、争いをなくさなければならい、病気というものを根絶していくほどしの、なら力ばもっておるのは金光教だと教祖はここに説いておられるという。果たしてところが、なら今の金光教がそれを本当に宣伝しゆるだけのものを持っておるかと言う事を、これは銘々の金光教教団人全体が考えなければならない所ですけれども。
これはなら私、私のところですから言えれる事はです、はっきりと信心を頂いて、大坪総一郎を中心にしてです、本気で合楽を現そうという生き方に、いうならば、合楽の船にのりこませて頂いたら、もう誰しもがおかげが受けられると言う事を、いわゆる宣伝しておるわけでございますね。私が昨日夕べ、御霊様のお祭りをさせて頂いて、いわゆる、合楽に縁のある限りの例えば人達、また霊界の人御霊様達もです、みんな極楽にいわゆる、合楽に縁があるのですから。
合楽へ合楽へと集まってくるならば、合楽には甘いものもありゃ辛いものもある、ありとあらゆる百味の飲食そろうておる、例えて言うなら分かりやすくいうと。それに、恵まれておるんだ。お祭りが終わって、これは御霊様のおことづけだと思うてみなさん聞きなさらにゃんいけませんよというて話したことでしたけれども、私が御心眼に頂きますのにね、ネギ畑があるそのネギが全部坊主がでとるというね。
ネギ坊主というでしょうが、上に出てもういわば、食べられんやつです、いうならば、今の坊主は役に立たんと言う事なんです。今いくらでもみんなに立派なおもいも拝んでもです、なみあむだぶつを唱えてもです、例えば病気一つ治す力も持たない仏教が、あの世で地獄にいっとる者を極楽に引き揚げる力があろうはずがないじゃない、もう極端に歯に衣を着せずに言うならば、私が頂いておる今日の事を言うならば、今の坊主は役に立たんと言う事にある。
これは坊主ということじゃない、言うならば力のない宗教、全部に言えれる事なんです。ね、ただ教学的なことだけを説く、例えば心の助かりだけを説くというね、じっと心の助かりというものがあるならばです、言うならば、私が言う貧乏のない世界、病気のない世界、争いのない世界に住む事ができんだけれども、ただ自分だけは満足しよる、自己満足に落ちておる宗教では、それは、金光教だって駄目なんですね、いわゆる無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は無常の風が時を嫌う道です。
どうにも出来ないという問題も、もう助からんというでも、助けることだけの力を持っておると、教祖が仰っておられるけれども、なら果たして今の金光教にどれだけ残っておるかと言う事なんです。だから、よそはもうともかくとしてです、なら、合楽で断言できることはです、無常の風に、時を嫌わすことの出来れる働きというものを、もっておるんだと言う事なんです。
いわゆるそれを、みなさんにいうならば、宣伝言うならば宣伝の内容がです最近は皆さんに聞いて頂いておる訳です。あなたの今日の話を頂いて、なら合楽にです、本当に貧乏のない世界に住んでおる人が沢山あること、病気のない世界に住んでおる人が沢山あること、ならここ10年代、20年代、それこそ薬一服いただかない、薬箱がなくなったという人がたくさん合楽の信者の中にあると言う事ね。
おかげを頂いて争いのないというおかげをなるほど頂いておったらです、そしてみると私の御用はこれからいよいよ真善美の世界を広げていくだけでよい、頂いておるもんに対する、いわば思いが足りなかった、感謝が足りなかったと気づかせて頂けばよい。ただ私の家は極楽でございますというておるだけじゃいかん、それを現していう所にですね、まあいうならばです。
現在のいうならば、ねぎ坊主じゃないけれども、もう食べも出来なければ、役には立たないと言う様な宗教にかじりついておっても駄目なんです。本気で金光大神のお取次ぎを頂いて御霊も助かっていくならばですね。例えばその御霊様が助かっておると言う事は胃癌でした、それで私にお母さんも、それから嫁になる方も一生懸命お参りしてきました。だいたい、おかげを頂きました。けれども結局亡くなりましたけれども、胃がんというものはもう苦しみ抜く病気だそうです。
ところが亡くなられる時にはですね、もうどうせ人間はいっぺんには死んでいかんならん、ほがらかに死んでいかにゃんねというて枕元に皆んなを集めてから「都都逸」を歌うて死なっしゃったそうです。歌われて、いかに助かっておられたかという事が分かるでしょうが、ね、合楽に参りゃ決して死なんということじゃないです、けれどもその死に際が素晴らしいです、もうなるほど、これならば極楽にいくじゃろうと思われるような死に方をするです。
( ? )正義先生の娘御のお母さんが子宮癌でした。もう大変苦しんできたそうです、子宮の( ? )大変苦しんだ、けれどもここのお取次ぎを頂いてから苦しみがなくなったね、そして、苦しみのないままに亡くなりました、それはもう10年前の話ですがね、ですから極楽に行っておるだけではいけない、それでなら昨日の御霊は遺族の者、家族の者に、言うなら宣伝をしておるです。
仏教じゃもう助からんぞと坊主、坊主はもう役に立たんぞと、合楽の信心におすがりをしてお前達におかげを受けてくれよというのが昨日の御霊様の、いうならば、私を通じて遺族の者に対して言付けでしたね。ですから問題はそれは皆さんが信ずると言う事なんです。昨日は漸くお祭りを済んで、今からご直会を頂こうという時に近見市長がお参りになっておりますという、昨日は家族で参ってきとった、奥さんお孫さんそしてそれに秘書と四人連れで参ってきたね。
昨日、久留米の井上さんのお宅から電話を頂きましたと。今合楽教会ではね、久留米全市のこと、市長さんあなたの事を一生懸命お願いをなさっておられますからね、いっぺんお参りをしてお話を頂いて下さいという電話がかかってきた。勿論市長さんが何かというときには直ちにお願いに来ますし、また市長に立候補する時もここにお願いにきとる、いうならば、落選のところを当選のおかげを頂いたんですこの人は、ですから、もう何かというたらお願いに来るんです。
今日から日本中の高校生のなにか運動会の様な事があるでしょう、それでもう大変に天候の事を心配しておる、それで丁度奥さんと二人でこれは合楽にお願いに行こう、合楽の親先生が天地が自由になるというな事を何時か聞いた事があるが、お願いに行こうとまた夫婦で話しよる所へ、井上さんと言う方から電話がかかった、だから井上さん、井上峰子さんか、初美はつみさんかどっちかでしょう、いわゆる私感心しました、宣伝なんですいわゆる、宣伝をしておられるのです、市長さんのお宅にね。
そして、私はいつも市長さんの話を聞くばっかりですが、昨日はもう初めから最後まで一生懸命合楽の宣伝を致しました。でこれから市長さん参いてきなさったっちゃ、もう私の話を聞いてもらわにゃいけんですよと、今は合楽は宣伝の時代に入っとるから、丁度御霊様の方でお祭りを済んで、お話をしておるところで、そこで聞いておられた。二人で今日の先生の話を聞きながらです、現代の久留米にです、いよいよ先生が言われる真善美のこの道をつくらなければならない。
今久留米市内、市に来て下さい、もうどこの路地裏に行っても、もう草一本はいてない、ちり一つ落ちてない、いわゆる美の久留米というものを聞きながら感じました。そしてこれをです、こういう70年間に1回、不思議な( ? )、もう後はあるやらないやら分からないこう言う千載一遇の機会にです、私が市長である時に、こう言う事が久留米であると言う事は大変有り難いと思います。
私は恵まれております。第一自分の周囲の取り巻きに恵まれております、本当に私の手になり、足になってくれる人達が、だから、私が人徳があるからついてくるとあなたは思うてはでけんですよと、神様のおかげでついてくるですよと、昨日は私はその事をしっかり、それは先生言われる通り、私は本当に神様の御守護を受けておる幸せな男ですというて、市長さんがお礼に出られます。
もう欲を言う様ですけれども、明日の3時から6時までの一番大事な時間でございますから、どうぞおかげを頂きますように、また浴と申しますけれども、五日の久留米祭りの日まで、とにかく天候のお繰り合わせを頂きますようにと。先日から伊万里の市長さんから聞いておった。以前は、伊万里市はもう、雨乞市長といわれるぐらいにいろんな行事があるたんびに雨が降りに降っておった伊万里市だった。
竹内先生が市長になられてからここ五、六年になりましたね、もうそれこそ今度の市長はついておると言う程しにです、なら降りよっても降り止むと言う位なおかげを頂いておる話を聞いてね、家内とその事を話しておる所で、井上さんという方から電話が掛って来て、合楽では久留米市全体の事を祈っておられますから、あなたもお参りして下さいと夕べ電話がかかって来て、もう今日は急いでお参りしてきたとこういうね。
これなんかはいうならば、無常の風がです、例えば降ると言った様なお天候の上にでもです、それをおかげが頂けれる道があると言う事を聞いておられる。またそれを宣伝しておるね、ですからお願にみえたんですね、ですからこの御理解16節は今の合楽にピッタリだという感じが致しますね。成らない筈の事がなっていくね、成就しないはず、成就すると思えないようなことが成就していくね、いわゆるこれは仕方がないと受けるのではない、そこんところを頂いていけれるおかげ。
昨夜は月末御礼信話会ですから、皆さん集まって、昨日は何もお話がありませんでした。もう皆んながにこにことして少し修行で疲れておられるような感じでした。それで私は昨日、大黒様をみんなここに集まっておられる大黒様を、昨日は五体でした。今朝からまたこっちへきてから六対になられる、それであの大黒様をこのお広前の真ん中にだしてね、それこそ大黒様の顔を見てからニヤニヤ笑いながらちょうど11時ごろを過ぎました。しかし、それでいいんだと私は思うのです。
もうそれこそ、一と月間一生懸命修行させて頂いた、お話も十分聞かせて頂いた。例えば30日の御礼信話会には信話ばしなくてもです、それこそここに集まっておる皆んなが大黒様のごとにこにこしながら、1時間座っておるだけでよいですねというて、昨日は本当にお話を全然しませんでした。もう大黒様が( ? )感じなんですね、それで夕べそれで私共が大黒様を中心にして拝ませて頂いてもう、じゃそのまま朝の御祈念をさせて頂こうと思うて、おかげを頂いたわけですけれどもね。
これなんかはいうならば、大黒様がもっておられるところの打ち出の小槌の徳というものがですね。これは金とか物だけの徳じゃありませんよ、人間が幸せになる条件のすべてを降り出してくださるのです、打ち出してくださるね、そこで本気で大黒様を拝まにゃならん、金光大神様を拝まなきゃならんと言う事になりますね。それもです私共が、一歩前進した信心、いうならば世界の行く手を感じれるぐらいな。
世界の難儀を難儀と感じられるぐらいな、そして世界の真の平和を、世界総氏子の身の上安全を、世界に和賀心時代をいよいよしき広めていかなければならない、世界に合楽を現していかなければならない。昨日は市長さんがこう言う事も言われた、本当に先生これからは一つ久留米市に合楽を現しますと約束されました、ですから、まず合楽言うならば久留米市全体が合楽を現していくという、いうならばいっぺん伊万里市にも行ってみなさい。伊万里市のあの市長所を見にいって下さい。
もう本当に和賀心時代を現しておるという街だな市だなというものが感じられるほどしに素晴らしいですよ。まだ行ったことがないっち、今度市長舎が出来てから、ぜひいっぺん行きなさいと私は昨日進めておきました。それにはまず市長さん自身がね、そういういうならばね、真善美をそなえるというほどしの人格というものが必要です、そして初めてそこからです、人間の行く手に間違いのない目的のようなものを定めさせてもろうてね、そこから、発展していくという間違えぬ市でなかなければならない。
それには無常の風が吹いてくるのは仕方がないというのではなくて、無常の風が吹いてきおっても、向こうの方へいうならば、追いやってしまう、雨雲が吹いてきおっても、雨雲が向こうのほうへ追いやってです、いうならば晴天のおかげの頂けれるようなおかげを現していかなければならない。それを私はこの御理解16節に説いてある、金光大神のいうなら、御在世の頃確かに無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は無常の風が時を嫌うぞというほどしの、それこそ打てば響くような。
触れば温かみを感ずるような、つつけば血が飛び出るような働きが現われておった金光教であったのですけれども、百年たち、百十年立つ内にですね、そういうものは、事は昔話のようになって、そういうご利益とかなおかげを言うと返って程度、程度の低いような事を言う、私もそういうふうに感じた時代がありましたけれども、実を言うたらです、そういうご利益、打てば響くようなおかげ。
そういうおかげを無くした宗教はもう枯れていきよる宗教だと思います。奇跡が現われないような宗教はもうつまらんです。それこそ、仏教だけのことじゃありませんねぎ坊主だけじゃありません。そういう生き生きしたものを私共が現して、今こそ世界にそれを問うていく、それを広めていくという、いうならば大きい、高い境地にたっての信心がすすめられていかなければならないと思うんです。
どうぞ。